勉強ができるできないで人を判断していない

専門職大学を創設 実践と教養、バランス良く学ぶ
大学は幅広い教養や学術的な教育に力を入れてきました。しかし産業界からはもっと実践的なことを教えてほしいとの要望がありました。ただ実践的な教育に力をいれる学校には今も専門学校や高等専門学校(高専)があります。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO18205780Y7A620C1EAC000?channel=DF010320171966

勉強ができるから凄い、勉強ができないからバカ。
この様な認識の人は殆どいません。他人を判断する要素はそんな簡単に決まりません。
もし、その様な短絡的思考で有る大人ならば、物事の判断能力に欠ける小学校低学年レベルの教養と考えて下さい。
社会人における学力テストや受験は、本人が望まない限りありません。
しかし『バカ』『頭が悪い』と認識されると言う事は、勉強ができるできない、テストの点数の良し悪しで判断している訳ではない事は理解できると思います。
要は、その人の立ち居振る舞い、所謂教養を見て判断しているのです。
特に日本では多くの方が高等教育機関を経て社会に出ていますので、世界的に見て教養が高い人は多いのではないでしょうか。
礼儀正しく、律儀で親切であり丁寧、更に勤勉である。
教育が行き届いており、一般常識を共有しルールを守る意識が強い。
・・・それも今や昔の話になってしまいました。
いつ頃からか勉強さえできればそれで良いと勘違いし始め、勉強ができない人をバカにし始め、排除し始めた頃から日本企業は没落し始めています。
点数だけで判断する事を、ようやく間違いに気付き修正し始めている事は、やはり日本人と感心します。
既に『バカ』という言葉は相手を否定する場面で使用しなくなり始めており、モラルが低い、教養が低い、ルールを守れない無法者などと具体的に書いている人も良く目にします。
モラルが『無い』、教養が『無い』、『無い』ではなく『低い』と書いている事は非常に面白く興味深い。ここに日本人の優しさと礼儀正しく律儀で丁寧な性が出ているのです。
自分の事は自分で良く分かっているつもりでも、それが社会に適しているかどうかは別物です。
第3者である他人の意見を聞いた上での自己判断をする事が重要です。
所謂『バカ』は、相手が話している途中で自分の話をしてしまいます。
全く関係のない話題を急にしたり、頭ごなしに否定する事も相手の話を全く聞いていないから起こる現象です。先生の教えている事を全く聞いていないから昔は勉強が出来ない人を『バカ』と呼んだのかも知れませんね。